「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(^^;)、まずは、旧町名の看板から攻めてみようかな?ってことで、始めました。一気に書くのが大変なので、少しずつ掲載しますね。
なお、写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。
1 【旧町名】南新町(みなみしんまち)
この付近は、江戸時代には宇都宮城下の南端に位置していました。元和5年(1619)、宇都宮城主本多正純により日光街道の付け替えがなされたき、街道沿いに新しく開かれたところで、町の名もそれに由来します。城下への出入口のため、見張人の詰める番所が設けられ、多くの寺院が建っていました。
位置情報:36.54825, 139.8768
2 【旧町名】熱木町(ねぎまち)
この付近には、古くから不動尊が祀られ、熱木の不動尊として親しまれていました。江戸時代以前には贄木町とも呼ばれていたようです。日光街道沿いのため、将軍日光社参のときは、臨時の番所が置かれました。
位置情報:36.55086, 139.87576
3 【旧町名】歌橋町(うたのはしまち)
昔、このあたりに住んでいた人が歌を詠み、その歌が万葉集に載ったという伝説により、町名が起こったといわれています。古くは、宇田橋町とも書かれていました。江戸時代には日光街道沿いに七のつく日に市がたち、にぎわったといいます。
位置情報:36.55263, 139.87536
4 【旧町名】大黒町(だいこくちょう)
この付近に、古くから三面大黒天が祀られていたので、大黒町と呼ばれるようになりました。江戸時代には日光街道沿い町家が並び、宿屋が多かったといいます。また、七のつく日には市がたち、にぎわいをみせました。
位置情報:36.55391, 139.87555
5 【旧町名】伊賀町(いがまち)
この付近は、宇都宮城下の西端に位置した武家屋敷町で、宇都宮氏の時代に芳賀伊賀守ゆかりの土地であったことから、伊賀町の名が付けられたといわれます。江戸時代には、楡木・栃木へ通じる六道口の警備をする役人の屋敷が置かれました。
位置情報:36.55506, 139.87364
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