「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(旧町名編 その3)。
ブラタモリの再放送を見ました。宇都宮城下って、変わった成り立ちなんですね。ぼくもブラブラ歩いていますが、たくさんの発見があって面白いです。
※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。
11 【旧町名】材木横町(ざいもくよこちょう)
この付近は、日光街道沿いの材木町から西へ延びた町人町であったので、材木横町と呼ばれるようになったといいます。大運寺の門前町として開け、町内には傘屋・桶屋・粉挽き屋などが軒を並べていました。明治時代の初め頃、境町となりました。
位置情報:36.56138, 139.87446
12 【旧町名】一ノ筋(いちのすじ)
この付近は、宇都宮城外堀の西に位置する武家屋敷町で、城の近くから南北通りを順に一ノ筋・二ノ筋・三ノ筋・四ノ筋と呼んでいました。この一ノ筋には約30の武家屋敷が並んでいましたが、一つの屋敷の大きさは600~800坪くらいで、屋敷には竹や茶の木が植えられていました。
位置情報:36.5565, 139.87924、36.55896, 139.87979
13 【旧町名】二ノ筋(にのすじ)
この付近は、宇都宮城外堀の西に位置する武家屋敷町で、城の近くから南北通りを順に一ノ筋・二ノ筋・三ノ筋・四ノ筋と呼んでいました。この二ノ筋には、40を超える武家屋敷が並んでいましたが、一つの屋敷の大きさは600~800坪くらいで、屋敷には竹や茶の木が植えられていました。
位置情報:36.55658, 139.87818、36.55868, 139.87856
14 【旧町名】三ノ筋(さんのすじ)
この付近は、宇都宮城外堀の西に位置する武家屋敷町で、城の近くから南北通りを順に一ノ筋・二ノ筋・三ノ筋・四ノ筋と呼んでいました。この三ノ筋には、約40の武家屋敷が並んでいましたが、一つの屋敷の大きさは500~600坪くらいで、屋敷には竹や茶の木が植えられていました。
位置情報:36.55654, 139.87715、36.5586, 139.87765
15 【旧町名】四ノ筋(よんのすじ)
この付近は、宇都宮城外堀の西に位置する武家屋敷町で、城の近くから南北通りを順に一ノ筋・二ノ筋・三ノ筋・四ノ筋と呼んでいました。この四ノ筋には、60を超える武家屋敷が並んでいましたが、一つの屋敷の大きさは300~400坪くらいで、屋敷には竹や茶の木が植えられていました。
位置情報:36.55652, 139.87608、36.55885, 139.87664
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