「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(旧町名編 その7)。
宇都宮城主”本多正純”、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出てくる”本多正信”の長男と前回書いたけど、その”本多正信”さん、なかなかの曲者だったみたいですね。ますます親近感を感じます(^^;)。
※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。
41 【旧町名】石町(こくちょう)
この付近は、戦国時代に宇都宮市から穀物を一手に商うことを認められていた人々が住んでいたので、石町という名が付けられました。江戸時代には穀物の売買に大きな力をもち、新石町の穀物商人を支配していたこともあります。江戸時代後期には21軒の穀物問屋がありました。
位置情報:36.55895, 139.88999
42 【旧町名】肴町(さかなまち)
宇都宮城主本多正純の町割り替えにより、六軒町にあった魚屋を、大町の一部であったこの地に移したので、肴町という名がつけられました。寛永元年(1624)、この町の魚屋は城下の魚売買の独占権を得たので、毎年城主に塩引きの鮭や鱈などを献上することになりました。
位置情報:36.5602, 139.88848
43 【旧町名】大町(おおまち)
奥平大膳大夫家昌が城主のとき、この付近で大膳市が開かれ、奥州街道沿いであったので大変にぎわいました。そこで大町という名が付けられたといわれます。月に6回、一と五がつく日には市が開かれ、宇都宮城下の中心的な問屋街として栄えました。
位置情報:36.5598, 139.89027
44 【旧町名】大工町(だいくちょう)
宇都宮城を築くとき、この付近に大工を住まわせたことから、大工町の名がつけられたといいます。江戸時代には穀物屋・干鰯屋・鍛冶屋・荒物屋など、いろいろな商人や職人が住んでいました。
位置情報:36.56051, 139.89092
45 【旧町名】寺町(てらまち)
この付近は、東西に通る道の北側に、生福寺・法華寺・妙金寺の3つの寺院がならんでいたことから寺町の名が付きました。町内はすべて3つの寺院の門前地で、古着屋が多かったということです。
位置情報:36.56143, 139.89004
46 【旧町名】新宿町(しんじゅくちょう)
上河原町で開かれていた市が大名の通行にさしつかえがあったので、寛永11年(1634)この付近に移されました。大町の市に対して新しく開かれたことから、新宿町という名が付けられました。市は月に6回、三と八のつく日に開かれ、日々の暮らしに必要なものが盛んに取り引きされました。
位置情報:36.56104, 139.89222
47 【旧町名】扇町(おおぎちょう)
この付近は、扇や団扇をつくる職人が多く住んでいたので、扇町の名が付いたといわれています。昔は大変繁盛し、扇や団扇は宇都宮の名産として奥州地方にまで取り引きがあったといいます。
位置情報:36.56258, 139.88945
48 【旧町名】小門町(こかどちょう)
この付近は、間口の小さな家が多く並んでいたことから小門町という名が付いたといわれています。宇都宮城下の最北端に位置し、町内には、大工・萱葺きなどの職人が住んでいました。
位置情報:36.56317, 139.89033
49 【旧町名】壁町(かべちょう)
この付近は、壁をつくる職人が住んでいたので、壁町の名が付いたといわれています。井戸水の質が良かったことから、他の町まで水を売り歩く人もいたようです。江戸時代の後期には塙田村に含まれたものと思われます。
位置情報:36.56285, 139.89117
50 【旧町名】清巌寺町(せいがんじまち)
天正元年(1573)、芳賀高継が宿郷村にあった念仏堂をこの地に移し、芳賀氏の本姓の清原氏の「清」をとって寺の名を清巌寺としました。この寺院の門前に町並みができたので清巌寺町の名が付けられました。明治時代の初め頃、清水町となりました。
位置情報:36.56157, 139.89315
過去の記事は、こちらからどうぞ。
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その6)
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その5)
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その4)
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その3)
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その2)
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その1)
だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(プロローグ)
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