Sunday, February 26, 2023

今週(2023/2/20~2023/2/26 8/52 week)の総括

 人間ドックを受診しました。当日分かる範囲では、身長がビックリするほど低くなり、視力も低下。相変わらず貧血で、ガッカリな結果でした。他に悪い診断がありませんように・・・。

 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計8.0時間。
 祝日があったのに、ムダに過ごしてしまった。「空いた時間は勉強」って気持ちを持つようにしよう。
2.ウォーキング
 距離:16.52 km
 タイム:4時間18分43秒
 週末に、ようこちゃんと「宇都宮の軌跡」の看板を探しにブラブラ歩きました。まあまあ歩けて、看板もたくさん発見できました。かなり寒かったんだけど、キレイな景色も見れて良かったです。
 「宇都宮の軌跡」については、こちらからどうぞ(^^)。
3.自転車
 距離:355.02 km(ローラー:267.13 km)
 TSS:512.4(ローラー:337.7)
 獲得標高:920 m
 タイム:11時間35分16秒(ローラー:7時間24分00秒)
 先週、少し調子が上向いてきたと書いたのに、今週も今ひとつ。不完全燃焼でした。
4.ようこちゃん
 一緒に人間ドックを受診しました。最後に診断してくれるお医者さんが、今までで一番、話を聞き、答えてくれたそうで、ご機嫌の様子。良かったです。
5.体重と体脂肪率
 どうしても日曜日に食べ過ぎ、飲み過ぎになる傾向があります。今日(2/26(日))もたくさん、食べてお酒も飲んじゃった。明日朝、体重計に乗るのが怖いです。

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その7)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(旧町名編 その7)。
 宇都宮城主”本多正純”、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出てくる”本多正信”の長男と前回書いたけど、その”本多正信”さん、なかなかの曲者だったみたいですね。ますます親近感を感じます(^^;)。
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

41 【旧町名】石町(こくちょう)
 この付近は、戦国時代に宇都宮市から穀物を一手に商うことを認められていた人々が住んでいたので、石町という名が付けられました。江戸時代には穀物の売買に大きな力をもち、新石町の穀物商人を支配していたこともあります。江戸時代後期には21軒の穀物問屋がありました。
 位置情報:36.55895, 139.88999

42 【旧町名】肴町(さかなまち)
 宇都宮城主本多正純の町割り替えにより、六軒町にあった魚屋を、大町の一部であったこの地に移したので、肴町という名がつけられました。寛永元年(1624)、この町の魚屋は城下の魚売買の独占権を得たので、毎年城主に塩引きの鮭や鱈などを献上することになりました。
 位置情報:36.5602, 139.88848

43 【旧町名】大町(おおまち)
 奥平大膳大夫家昌が城主のとき、この付近で大膳市が開かれ、奥州街道沿いであったので大変にぎわいました。そこで大町という名が付けられたといわれます。月に6回、一と五がつく日には市が開かれ、宇都宮城下の中心的な問屋街として栄えました。
 位置情報:36.5598, 139.89027

44 【旧町名】大工町(だいくちょう)
 宇都宮城を築くとき、この付近に大工を住まわせたことから、大工町の名がつけられたといいます。江戸時代には穀物屋・干鰯屋・鍛冶屋・荒物屋など、いろいろな商人や職人が住んでいました。
 位置情報:36.56051, 139.89092

45 【旧町名】寺町(てらまち)
 この付近は、東西に通る道の北側に、生福寺・法華寺・妙金寺の3つの寺院がならんでいたことから寺町の名が付きました。町内はすべて3つの寺院の門前地で、古着屋が多かったということです。
 位置情報:36.56143, 139.89004

46 【旧町名】新宿町(しんじゅくちょう)
 上河原町で開かれていた市が大名の通行にさしつかえがあったので、寛永11年(1634)この付近に移されました。大町の市に対して新しく開かれたことから、新宿町という名が付けられました。市は月に6回、三と八のつく日に開かれ、日々の暮らしに必要なものが盛んに取り引きされました。
 位置情報:36.56104, 139.89222

47 【旧町名】扇町(おおぎちょう)
 この付近は、扇や団扇をつくる職人が多く住んでいたので、扇町の名が付いたといわれています。昔は大変繁盛し、扇や団扇は宇都宮の名産として奥州地方にまで取り引きがあったといいます。
 位置情報:36.56258, 139.88945

48 【旧町名】小門町(こかどちょう)
 この付近は、間口の小さな家が多く並んでいたことから小門町という名が付いたといわれています。宇都宮城下の最北端に位置し、町内には、大工・萱葺きなどの職人が住んでいました。
 位置情報:36.56317, 139.89033

49 【旧町名】壁町(かべちょう)
 この付近は、壁をつくる職人が住んでいたので、壁町の名が付いたといわれています。井戸水の質が良かったことから、他の町まで水を売り歩く人もいたようです。江戸時代の後期には塙田村に含まれたものと思われます。
 位置情報:36.56285, 139.89117

50 【旧町名】清巌寺町(せいがんじまち)
 天正元年(1573)、芳賀高継が宿郷村にあった念仏堂をこの地に移し、芳賀氏の本姓の清原氏の「清」をとって寺の名を清巌寺としました。この寺院の門前に町並みができたので清巌寺町の名が付けられました。明治時代の初め頃、清水町となりました。
 位置情報:36.56157, 139.89315


 過去の記事は、こちらからどうぞ。
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その6)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その5)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その4)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その3)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その2)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その1)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(プロローグ)

Sunday, February 19, 2023

今週(2023/2/13~2023/2/19 7/52 week)の総括

 この週末は気温が上がって、春がすぐ近くに来てる感じ。少しウキウキします(^^)。

 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計7.5時間。
 SNSやブログに割く時間を勉強に向ければいいのか(^^;)。この記事書くのだって、1時間はかけてるもんなぁ・・・。
2.ウォーキング
 距離:15.13 km
 タイム:2時間47分03秒
 今週は、「宇都宮の軌跡」の看板を探しに行けませんでしたが、まあまあ歩けたかな。
 でも、撮りためた写真があるので、公開しますね。こちらからどうぞ(^^)。
3.自転車
 距離:452.66 km(ローラー:327.48 km)
 TSS:614.1(ローラー:401.4)
 獲得標高:1,102 m
 タイム:14時間57分05秒(ローラー:9時間14分48秒)
 日曜日の今日(2/19)、普通に練習すれば、週間目標を久々に達成できると思って乗りだしたら、途中から雨が降りだしてびしょ濡れになりました。やる気急降下で、ローラーもやる気になれず、未達となりました。が、だいぶ調子が上向いてきましたよ。
 写真は土曜日(2/18)、いつもの小来川周回コースでの練習の途中。天然氷の蔵元さんの池の横にて。道路脇には雪があるけど、早朝じゃなければ、小来川周回出来ますね。  
4.ようこちゃん
 自転車の練習コースにしている多気不動尊の参道に、ロウバイとミツマタがたくさんあるのを見つけたので、ようこちゃんを誘って見に行きました(クルマでね)。ロウバイは、すっごくいい香り。ミツマタは、まだツボミですが、咲いたらまた見に来ようと約束しました。
5.体重と体脂肪率
 週末に近づくにつれ、体重が落ちてきました。いつも、日曜日にたらふく飲んで食べちゃうので、今日はほどほどにしようと思います。

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その6)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(旧町名編 その6)。
 看板の写真を集めながら、少しだけど、歴史を勉強しています。旧町名の説明によく出てくる宇都宮城主”本多正純”、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出てくる”本多正信”(演じているのは、松山ケンイチさん)の長男なんだって。勝手に親近感を抱いてしまった。

 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

31 【旧町名】釈迦堂町(しゃかどうまち)
 この付近には、かつて二荒山神社の別当寺である東勝寺がありました。この東勝寺が廃寺となり、境内にあった釈迦堂の跡地にできた町ということでこの名が付きました。二荒山神社から伸びる丘陵を開いて道を通した当初は、「切り通し」とも呼ばれ、ネバ土のため歩くのが大変な所でした。明治時代の初め頃、相生町となりました。
 位置情報:36.56126, 139.88642

32 【旧町名】日野町(ひのまち)
 慶長3年(1598)、蒲生秀行が宇都宮城主になったとき、蒲生氏の出身地である近江国日野(現・滋賀県蒲生郡日野町)の商人を東勝寺の跡地に住まわせたのが、町名の起こりといわれています。この町は奥州街道に面し、荒物屋・呉服屋・小間物屋などが軒を並べていました。
 位置情報:36.5598, 139.88705

33 【旧町名】日野町横町(ひのまちよこちょう)
 この付近は、元和6年(1620)に二荒山神社から東に向かう切り通しができるまでは、日野町の方が入り口の袋小路であったため、日野横町という名がつけられ、日野町横町・日野小路町とも呼ばれていました。江戸時代の半ば頃、千手町の一部となりました。
 位置情報:36.56044, 139.88752

34 【旧町名】千手町(せんじゅまち)
 この付近は、江戸時代に千手院という千手観音像を祀る寺院があったことから、町名が起こったといわれています。鍛冶屋や古着屋がある細い通りでしたが、明治時代に宇都宮駅への道が整備され、にぎやかになりました。
 位置情報:36.56119, 139.88736

35 【旧町名】小田町(おだちょう)
 この付近は、二荒山神社の東側に位置しています。伝説によると、神社に供える米をとる田があったことから「御田」とよばれ、それが小田町の名の起こりとなったといわれています。東西に続く小さな町人町でした。
 位置情報:36.56269, 139.88827

36 【旧町名】宮島町(みやじまちょう)
 この付近は、川や沼など湿地に囲まれた島のような地形であったので、宮島町と呼ばれるようになったといわれています。町内には、古着屋・穀物屋・造酒屋・荒物屋などが軒を並べていました。
 位置情報:36.5617, 139.88827

37 【旧町名】今小路町(いまこうじまち)
 宇都宮城主本多正純が超過の町割り替えを行ったとき、奥州街道の付け替えも行いました。そのため城の北東部から奥州街道へつながる新しい道ができました。そこで今小路町という名が付けられたといわれています。
 位置情報:36.55878, 139.88812

38 【旧町名】剣宮町(つるぎのみやまち)
 この付近は、江戸時代の初め頃は藪地で、そこに古い剣を納める剣宮神社という祠がありました。その後、剣宮神社は二荒山神社へ移されましたが、剣宮町という名はその祠から付けられたといいます。なお、当時奉納される刀が、現在も地元に伝えられています。
 位置情報:36.55896, 139.88682

39 【旧町名】六軒町(ろっけんちょう)
 この付近は、宇都宮城の今小路門前の西側にあたり、ここに六軒の家があったことから六軒町の名が付いたといわれます。江戸時代の中頃には今小路町に含まれ、六軒町の名はなくなりました。
 位置情報:36.55829, 139.8879

40 【旧町名】元石町(もとこくちょう)
 江戸時代の初め頃、この付近には米問屋があり、東石町と呼ばれていました。その後、米問屋が石町や新石町に移ったため元の石町という意味でこの町名が付きました。米問屋が移ったあと武士の屋敷となりましたが、火災で焼けてからは町人町となりました。
 位置情報:36.55809, 139.89071


 過去の記事は、こちらからどうぞ。
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その5)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その4)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その3)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その2)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その1)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(プロローグ)

Sunday, February 12, 2023

今週(2023/2/6~2023/2/12 6/52 week)の総括

 雪が降ったり、春先のような暖かさだったり、忙しい週でした。

 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計7.5時間。
 2時間/日くらいは勉強に割きたいのですが、心が弱いなぁ。
2.ウォーキング
 距離:15.32 km
 タイム:3時間43分30秒
 今週も「宇都宮の軌跡」の看板を探して歩きました。
 「宇都宮の軌跡」の記事は、こちらからどうぞ(^^)。
 こちらは、番外編。「宇都宮の軌跡」の看板と同じ色、形の看板が、郊外にあることが判明。自転車だとどうってことないけれど、ここら辺まで歩いて行くのは、かなり大変だ・・・。
 北山霊園には、古墳がたくさんあるのですね。そこには、「宇都宮の軌跡」の看板に似た「まほろばの里」看板がたくさんありました。
 宇都宮美術館の近くにも。この奥の階段、シクロクロスの練習で自転車担いで走ったなぁ、懐かしい。
 新里には、こんなのもありました。ビックリ。この看板にはタイトルがないけれど、「宇都宮の軌跡」の看板と同じ色、形(^^;)。ここまで歩くには、2時間弱はかかるかなぁ・・・。
3.自転車
 距離:237.07 km(ローラー:169.24 km)
 TSS:334.6 (ローラー:245.2 )
 獲得標高:663 m
 タイム:7時間44分19秒(ローラー:4時間15分43秒)
 むむぅ、不完全燃焼。やはり、距離乗らないと気分が上がらないな。
4.ようこちゃん
 「宇都宮の軌跡」の看板を一緒に探しました。本人は、かなり歩いた気分だったようですが、ログを見ると予想より歩いていなかったらしいです(^^;)。
5.体重と体脂肪率
 寒いから脂肪が付いてるって思うことにしたけど、ちょっと太りすぎか。やはり、自転車に乗る時間が減ったのが、体重増の原因ですね。54kg台にいると、自転車こいでも、歩いていても、おしりあたりが重い気がするので、落とすことにしよう。  

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その5)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(旧町名編 その5)。
 結構たくさんの看板があることが分かったので、今回から10個ずつ掲載します。
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

21 【旧町名】小伝馬町(こでんまちょう)
 この付近は、江戸時代に伝馬町が宿場町として大きく発展したのにともない、表通りの伝馬町や池上町で働く町人が多く住むようになり、街並みができたところです。伝馬町の発展にともなってできたことから、この町名が起こったといわれます。
 位置情報:36.5625, 139.87797

22 【旧町名】餌差町(えさしまち)
 この付近は、鷹の餌となる小鳥をとる餌差人(えさしにん)が住んでいたので、餌差町と呼ばれるようになったといわれます。町内には延命院と真福寺が東西に並び、町の西側は延命院前、東側は真福寺前と呼ばれていました。明治時代の初め頃、寿町となりました。
 位置情報:36.56323, 139.87943

23 【旧町名】池上町(いけがみちょう)
 宇都宮の中心部は、かつて池辺郷(いけべのごう)と呼ばれていました。この付近は、その中心地とみられ、特に鏡ヶ池と呼ばれる池の上にあったことから、池上町となったといわれています。江戸時代は奥州街道沿いの町人町で、多くの商家や旅籠屋が軒を並べ、宇都宮城下の商業の中心地として大変にぎわいました。
 位置情報:36.5616, 139.87962

24 【旧町名】池上裏町(いけがみうらまち)
 この付近は、江戸時代に池上町から分かれてできた町で、池上町の北裏にあたるため池上裏町とか裏町と呼ばれていました。西から東に向かってなだらかに下る坂道沿いの町並みで、東は釜川に面していました。明治時代の初め頃、泉町となりました。
 位置情報:36.56239, 139.8811

25 【旧町名】鼠穴(ねずみあな)
 この付近は、宇都宮城外堀の北側にあたり、表通りの池上町を通らないで広小路から伝馬町に抜ける近道でした。この細い道がネズミの穴のように見えたことから鼠穴という名が付けられました。この通り沿って町同心の屋敷が並んでいました。
 位置情報:36.56127, 139.88014

26 【旧町名】江野町(えのまち)
 この付近は、元和5年(1619)、宇都宮城主本多正純による町割り替えのとき、古い堀を埋め立て町場にしたところといわれ、その時江戸町と名付けられたのが町名の起こりと伝えられています。この町は、南の広小路を抜けて城の大手門へ通じる重要なところでした。
 位置情報:36.56065, 139.88203

27 【旧町名】杉原町(すぎはらちょう)
 この付近は、二荒山神社の社地から続く林に杉の木が多かったことから、杉原町と呼ばれるようになったと伝えられています。江戸時代は古着屋・木綿屋・桶屋などが軒を並べた町人町で、西の池上町との境にあった池上橋(現・都橋)は城下随一の名橋といわれました。
 位置情報:36.5616, 139.88383

28 【旧町名】鉄砲町(てっぽうちょう)
 この付近は、戦国時代の終わり頃、宇都宮氏が鉄砲鍛冶を住まわせたことから、町名が付いたといわれています。江戸時代は奥州街道沿いの町人町であり、塗物師・絵師・鋳物師・表具師・米屋・菓子屋など様々な職人や商人が住んでいました。
 位置情報:36.56088, 139.88411

29 【旧町名】曲師町(まげしちょう)
 この付近は、江戸時代の初め頃、檜や杉の薄い板を曲げて容器を作る職人である曲物師が移住してきたことから、曲師町と呼ばれるようになりました。町の南側を流れる釜川の御手洗は、二荒山神社にお参りする人が身を清めた場所でした。
 ご覧のとおり、工事による養生で見えないから、工事が終わったら再度撮影に行きます。
 という訳で、養生が外されたとの情報をLE METROのマスターが教えてくれたので、歩いて行ってきました(2023/5/14 撮影)。工事は未了のようなので、また隠れちゃうかな?
 位置情報:36.55981, 139.88511

30 【旧町名】馬場町(ばばちょう)
 この付近は、古くから二荒山神社(宇都宮大明神)の門前町として開けたところで、馬場先であったことからこの町名が付いたといわれています。かつては門前から南北の通りを馬場町、西の池上町方面へのびる通りを西馬場と呼んでいましたが、後にこの西馬場を馬場町とし、元の馬場町を大明神馬場と呼ぶようになりました。
 位置情報:36.5613, 139.88569

 過去の記事は、こちらからどうぞ。
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その4)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その3)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その2)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その1)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(プロローグ)

Sunday, February 5, 2023

今週(2023/1/30~2023/2/5 5/52 week)の総括

 もう2月。月日の経過のスピードにあらためて驚いています。

 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計7.5時間。
 まずは、この倍を目指そう・・・。1日2時間くらいは、確保しよう。と、思います。
2.ウォーキング
 距離:12.69 km
 タイム:2時間19分56秒
 「宇都宮の軌跡」の看板を探しています。全部でいったい何個あるのか?正解が分からないのがつらい(^^;)。
 今週の「宇都宮の軌跡」の記事は、こちらからどうぞ(^^)。
3.自転車
 距離:339.11 km(ローラー:289.52 km)
 TSS:463.4 (ローラー:394.0 )
 獲得標高:421 m
 タイム:9時間51分49秒(ローラー:7時間22分07秒)
 この2年くらい、LSD的なトレーニングがメインになっていました。距離を乗ると満足感がある気がして。でも、時間をかけてる割りには、本当に力が付いていない気がして・・・、悩んでいます。
 2023年1月は、これ↓だけでした・・・。こんなに乗らない1月は、すごく久しぶりです。
 距離:1,143.47 km(ローラー:634.48 km)
 TSS:1,772.6 (ローラー:860.0 )
 獲得標高:4,990 m
 タイム:43時間10分21秒(ローラー:18時間52分19秒)
 さて、寒い寒いと言っていますが、唐沢池の氷が薄くなってきました。春はもうすぐかな?。  
4.ようこちゃん
 土曜日に、栃木市までドライブしました。ようこちゃんが見つけた食堂でランチにしましたが、とってもいいお店で、二人とも大満足でした。また食べに行きたいです。
5.体重と体脂肪率
 寒いから太るってことにします(^^;)。  

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その4)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(旧町名編 その4)。
 現在の住所に残っている町名、変わっちゃった町名、その差は何なんだろう?
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

16 【旧町名】新石町(しんこくちょう)
 この付近は、元和5年(1619)頃下町の米屋3軒が移転してきたことから、はじめは西石町と呼ばれ、後に新石町と呼ばれるようになったといわれます。町の南側には日光街道を往来する荷物の重さを調べる貫目改所(かんめあらためじょ)が置かれていました。
 ”新”があるなら、”旧”もあるはず・・・。
 位置情報:36.56178, 139.87645

17 【旧町名】本郷町(ほんごうまち)
 宇都宮城の北を流れる釜川の西側一帯は、古くは西原と呼ばれていました。この付近はその本村であったことから本郷町と呼ばれるようになりました。江戸時代は日光街道沿いに多くの商家が軒を並べにぎわいました。また町内には本郷山妙覚院(ほんごうさんみょうかいん)という寺院がありましたが、この境内にあった二十三夜尊が、今でも大切に祀られています。
 ココの前を3度素通りしました。横から見ると意外と見えないんです・・・。
 位置情報:36.56264, 139.87707

18 【旧町名】小幡町(おばたまち)
 この付近は、宇都宮城下の北西端、日光街道の西側に位置した武家屋敷町で御旗組という武士階級が住んでいたので、小幡町または小旗町と呼ばれるようになりました。街道口であることから、警備の役割を果たしていたようです。
 位置情報:36.56315, 139.87631

19 【旧町名】新田町(しんでんちょう)
 宇都宮城の北を流れる釜川の西側一帯は、古くは西原と呼ばれていました。この付近はその西原に開発された新田でしたが、日光街道沿いに人家が増えたことにより新田町と呼ばれるようになりました。宇都宮城下北西の交通の要所として番所が置かれていました。
 位置情報:36.56476, 139.8773

20 【旧町名】伝馬町(でんまちょう)
 この付近は、元和5年(1619)、宇都宮城主本多正純による城の大改修のときに、下町にあった問屋場が移転された所です。日光街道と奥州街道の分岐点にあたり、荷を運ぶ人馬(伝馬)が備えられていたことから、この町の名が生まれました。町内には大名の泊まる本陣をはじめ、たくさんの旅籠屋が軒を並べ、城下では最もにぎやかな所でした。
 現在は、まさかのゴミステーション(^^;)。

 位置情報:36.5618, 139.87785

 過去の記事は、こちらからどうぞ。
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その3)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その2)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(旧町名編 その1)
 だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(プロローグ)