Sunday, March 26, 2023

今週(2023/3/20~2023/3/26 12/52 week)の総括

 楽しみにしていた週末が、土日両日雨降りで、ガッカリ。でも、雨の中をようこちゃんとお花見に行ってみました。雨に濡れる桜も、なかなかの風情ですね。
 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計8.0時間。
 またまた捗りませんでした。
2.ウォーキング
 距離:13.52 km
 タイム:2時間58分05秒
 週末の雨でウォーキングを諦めかけたけれど、ウォータープルーフの靴で歩きました。が、靴擦れしてしまって、残念無念。履きなれていたはずなのに、何故だろう・・・。
 さて、宇都宮の「宇都宮の軌跡」の看板集めは、文化財、名所、旧跡の看板を収集中です。
 「だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その3)」は、こちらからどうぞ(^^)。
3.自転車
 距離:448.17 km(ローラー:448.17 km)
 TSS:419.0(ローラー:419.0 )
 獲得標高:0 m
 タイム:12時間05分58秒(ローラー:12時間05分58秒)
 まさかの外乗り0km。ローラーしかやらなかった・・・。ローラーは、もうお腹いっぱいです。来週は、外で走りたいな。
4.ようこちゃん
 先週に引き続き、「青春18きっぷ」を使って、今度は熱海まで行ってきました。約4時間乗り換えなしで、到着。時間はかかるけれど、のんびりと楽しい小旅行でした。
 帰路は、奮発してグリーン券を購入(^^;)。名物のネリモノとビールと日本酒も買い込んで、居酒屋気分で帰宅。すっごく楽しめました。
5.体重と体脂肪率
 引き続き増量中・・・。まずい。

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その3)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(文化財および名所・旧跡編 その3)。
 今回は、県庁前にある、この「まとめ看板」に載ってる名所・旧跡です。
 
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

1 二荒山神社
 栃木県民なら知らない人はいないのではないか?それくらい有名な神社ですよね。でも、ご覧の看板に載ってる文化財があることを知っている人は、それほどいないかな?それぞれの説明を書き写したかったけれど、細かすぎて読み取れませんでした(^^;)。ちなみに、「ふたあらやまじんじゃ」です。「ふたあらさんじんじゃ」って呼ぶ人が多いけど。
 位置情報:36.5624611,139.8856667

2-1 慈光寺
 赤門のサクラで有名な慈光寺さん。だから、サクラが咲いたら写真を撮りに行こうと決めていました。が、残念な雨降りでした・・・。
 位置情報:36.5648778,139.8868861

2-2 慈光寺/赤門跡
 宇都宮の旅籠屋(今の旅館)に生まれた枝源五郎は、宇都宮城下の人々から3年がかりで寄付を集め、安永7年(1778)慈光寺に山門(仁王門)を造りました。山門は赤く塗られていたので、通称「赤門」と呼ばれていました。
 この赤門は、昭和20年(1945)7月の宇都宮大空襲によって焼け落ちてしまいましたが、今でも「赤門通り」という愛称が残っています。
 位置情報:36.5641722,139.8869472

3 御蔵山古墳
 この古墳は、6世紀前半ころ造られた全長約62m、高さ約5mの中型の前方後円墳で、前方部を西北西に向けている。周辺からは土器は埴輪の破片が出土している。墳丘は三段になっており、下半分は山をけずって形を整え、上半分は土を盛り上げて築いている。
 古墳のふもとに「古棺記」、頂上に「雷神社」がある。神社を造るとき、前方部と後円部の上面約1mほどけずり取られている。
 こんなところに古墳があるなんて、ビックリしました。
 位置情報:36.5667528,139.8848722

4 八幡山公園のクスノキ
 江戸時代からここに生息していたと思われる、クスノキの巨木である。クスノキは主に関東地方より西の暖かい地域に分布している常緑高木で、これだけ大きいものは、栃木県内では珍しい。
 葉脈の分岐点に小さいいぼ状の点があり、中にダニの一種がいるのがクスノキの特徴である。新芽は赤褐色で美しい。開花は5月ごろで、黄白色の花が咲く。
 近くには、「ポケふた」もありますよ。
 位置情報:36.5696861,139.8858472

5 祥雲寺のシダレザクラ
 このシダレザクラは、江戸初期の明暦年間(1655~1658)、祥雲寺本堂再建の記念として植えられたものという。
 昭和23年(1948)、この一帯が火災にあったとき、枝の北側の一部が焼失した。その後、枯れた部分を切り取ったり、根元に肥料を施したりしたので、近年みごとに花をつけるようになった。開花は3月下旬ごろで、県内では代用的なシダレザクラの巨木である。
 見事に咲いていました。
 位置情報:36.5703139,139.8829028

6-1 延命院
 亀の甲坂の南にある延命院さん。しょっちゅうこの辺は通るのに、文化財がこんなにあるなんて知りませんでした。
 位置情報:36.56435,139.8788306

6-2 延命院/蒲生君平修学の寺
 「寛政の三奇人」の一人といわれた蒲生君平は、明和5年(1768)、新石町(現・小幡1丁目)に生まれました。6歳のとき、自宅から近い、ここ延命院の住職良快から読み・書きの手ほどきを受けたといわれています。近畿地方などの陵墓(天皇・皇族の墓所)の研究書である『山稜志』をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。
 位置情報:36.5637806,139.8782361

7 真福寺/木造四天王像
 この木造四天王像は、真福寺の本堂に安置されている。持国天・多聞天・広目天・増長天の四体がそろっているのは珍しい。
 台座に「嘉永五年(1852)壬子年九月二日、宇陽大仏師高田法橋運刻同豊吉」の銘があり、宇都宮の仏師高田運刻の作品であることがわかる。
 四天王とは、帝釈天(仏教を守護する天上界の王)に仕え、四方を守る神のことである。
 位置情報:36.5635278,139.8795611

8-1 桂林寺/木造聖観世音菩薩立像
 この木造聖観世音菩薩立像は、桂林寺の本堂に安置されている。
 カヤ材の一木造りで、右足に体重をかけ、左足をあそばせている珍しい立ち姿である。顔は面長で、玉眼、目尻には藍色が加えられている。鎌倉時代後期~南北朝期の作と考えられる。秘仏であるが、毎年春彼岸に御開帳している。
 秘仏と知らずにお彼岸にお邪魔して、拝顔することができました。大変美しく、特徴のある仏像です。
 位置情報:36.5657389,139.8776556

8-2 桂林寺/蒲生君平の墓
 ここ桂林寺には、「寛政の三奇人」の一人である蒲生君平の墓があります。蒲生君平は、明和5年(1768)、新石町(現・小幡1丁目)に生まれました。近畿地方などの陵墓(天皇・皇族の墓所)の研究書である『山稜志』をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。文化10年(1813)江戸で死去し、臨江寺に葬られ、後にここに分葬されました。
 位置情報:36.5648806,139.8772889

Sunday, March 19, 2023

今週(2023/3/13~2023/3/19 11/52 week)の総括

 ウォーキングのところで書いてますが、「宇都宮の軌跡」という看板を歩いて探しています。今日(3/19)お邪魔したお寺さんでは、春のお彼岸のみに御開帳される観世音菩薩さまにお参りすることができました。面長で美しい姿に感激。いいお彼岸でした(^^)。

 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計8.0時間。
 自転車の時間を削って勉強に仕向けるつもりが、捗りません。
2.ウォーキング
 距離:5.65 km
 タイム:1時間35分06秒
 実際は、この3倍は歩いているけど、ログを採っていませんでした。
 さて、宇都宮の「宇都宮の軌跡」の看板集めは、文化財、名所、旧跡の看板を収集中です。
 「だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その2)」は、こちらからどうぞ(^^)。
3.自転車
 距離:420.71 km(ローラー:324.57 km)
 TSS:464.4(ローラー:344.4 )
 獲得標高:808 m
 タイム:12時間57分43秒(ローラー:8時間29分23秒)
 土曜日(3/18)の雨とお出かけが誤算。もう一息だったのですが・・・。
4.ようこちゃん
 久しぶりに、「青春18きっぷ」を使って東京まで行きました。渋谷は、アチコチでの工事で、訳が分からないくらいごちゃごちゃしてますね・・・。これらの工事が終わっても、ごちゃごちゃのままな気がする。たぶん。
 で、おいしいものたくさん食べて、最新の自転車も眺めて、楽しい一日でした。
 それにしても、自転車の価格、数年前の3倍は言い過ぎかもしれないけど、そのくらいの感覚があるなぁ・・・。ようこちゃんもビックリしてました。もう買えないな。今のを大切に使おう。
 と思ったら、ぼくが塗り替えたフレームに似た色のフレームがありました。大手メーカーの先を行っていたと思い、ニンマリしてしまった(^^)。
5.体重と体脂肪率
 引き続き増量中・・・。

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その2)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(文化財および名所・旧跡編 その2)。
 今回は、不動前通りと平成通りの交差点にある、この「まとめ看板」に載ってる名所・旧跡です。が、一部重複しているので、その旨記載しています。
 
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

1 新町のケヤキ
 この木は、江戸から宇都宮城下への入り口にあたるところに立っており、多くの旅人の目印となっていたもので、落葉する10月下旬頃の姿が、特に美しい。
 樹齢は、推定800年であるが、樹勢は旺盛であって根回りは20m程もあり、根張りが良く、幹はしっかりとしている。
 なお、戦前までは、このようなケヤキが3本あったが、一番大きなこの木を残し、供木したため、現在はこの木だけが残っている。
 現在は、残念ながら、切り株のみが残っています。看板もありませんでした。
 位置情報:36.5485611,139.8753806

2 蒲生君平勅旌碑
 明治2年12月明治天皇は、蒲生君平の著した書物やおこないが明治維新に大きな功績があったとして「君平の人となりはまことに立派であるからこれを広く天下に表して庶民に知らせるように」との勅命を下しました。そこで、当時の宇都宮藩知事の戸田忠友が奉行となり、宇都宮の入口に「この地が蒲生君平の里である」という碑を建てました。
 位置情報:36.5471889,139.8776694

3 不動堂
 江戸時代の初めころ、宇都宮城主本多正純は、日光街道と奥州街道をつけかえました。そのとき、旧奥州街道と奥州街道の分かれ目にあったのが、不動明王を祀った不動堂です、江戸方面から来る旅人にとっては、宇都宮に入る目印となっていました。
 不動堂は初め、この場所より東方(旭陵通りを少し入った辺り)にありましたが、後にここに移されました。今でも不動前という地名があるのは、この不動堂に由来するものです。
 位置情報:36.5442639,139.8802806

4 御山屋敷跡
 この辺りに、宇都宮藩主戸田氏の別邸があったので、御山屋敷と呼ばれていました。広大な敷地をもつ屋敷で、享保16年(1731)、藩主戸田忠真のとき、さらに追加拡張され9000坪をこえる(約30000㎡)敷地になりました。木々が生い茂り、四季折々に花が咲き、周囲を一望に見渡せる宇都宮第一の景勝地といわれていました。
 普段は庭に入ることができませんでしたが、毎年2月の初午の日に限って一般に開放され、庭園内にあった稲荷、八幡の社に参拝することができました。
 位置情報:36.5450361,139.8833

5 亀井の水
 宇都宮城は、上から見ると亀の形に似ているので、亀ヶ丘城とか亀井城ともいわれていました。この辺りは、亀の尻尾にあたるので、この湧き水は「亀井の水」と名付けられました。
 鎌倉時代、静御前が源義経を慕って奥州へ向かう途中、のどが渇いて困ったとき、家来の亀井六郎が神仏に祈り槍で大地をつくと、ここから清水が湧いたという伝説が残されています。
 位置情報:36.548775,139.8842028

6 英巌寺児童公園/宇都宮城主戸田氏の墓所/英巌寺のイヌツゲ
 その1で書きました。

7 地蔵堀跡
 その1で書きました。

8 千歳坂
 その1で書きました。

9 南館堀跡
 その1で書きました。

10 西館堀跡
 その1で書きました。

11 松ヶ峰門跡
 その1で書きました。

12 歌橋番所跡
 この付近は、宇都宮城の西方に位置していました。江戸時代の初め、宇都宮城主となった蒲生秀行は、城内を修築して強化を図りましたが、その際、城内と街道を板塀で仕切り、木戸口を設けて出入りの人たちを厳しく見張る番所を置きました。この辺りの町名(歌橋町)にちなんで、歌橋番所と呼んでいました。
 位置情報:36.5527806,139.8758389

13 一向寺 
 「銅造阿弥陀如来坐像」、「菊地愛山の墓」があるお寺。境内には、立派な桜の木があったのですが、先日お邪魔した時は、無くなっていました。
 位置情報:36.5545889,139.8750917

14 六道閻魔堂
 この辺りは、江戸時代に壬生や佐野、楡木などから宇都宮の城下へ向かう六本の道が集まっていたので、仏教でいう六道(地獄堂、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の六世界)になぞらえて、六道と呼ばれていました。
 元禄14年(1701)、光琳寺の専誉上人はお堂を建て、高さ2.4mほどの閻魔大王を祀りましたが、明治初めの戊辰戦争で焼けてしまいました。現在のお堂は、明治39年(1906)に立て直したものです。
 位置情報:36.5552972,139.8714139

15 滝の権現
 ここは滝尾神社ともいわれ、江戸時代終わりころの文政9年(1826)、竹内九衛門が日光の滝尾神社の神を分けて祀ったものといわれています。
 かつて樹齢800年の大きなカエデの木や、江戸時代の宇都宮の名所である「七水」の一つに数えられた湧き水がありましたが、今ではともに見ることが出来なくなってしまいました。
 位置情報:36.5502028,139.8662722

Monday, March 13, 2023

今週(2023/3/6~2023/3/12 10/52 week)の総括

 530練の帰りに、多気不動尊の参道に行ってみました。ミツマタが見頃だと思って。なんて書いたけど、ミツマタの花、ちゃんと見るのは初めて。こんなにかわいい花だったとはビックリです。香りもよろしいですね。で、ようこちゃんを連れて、再訪。他に見に来る人も誰もいなくて、ふたり締め状態でゆっくり観察できました。

 では、今週の総括です。
1.資格取得のための勉強
 合計8.0時間。
 やはり真剣さが足りないか・・・?
2.ウォーキング
 距離:18.77 km
 タイム:4時間16分45秒
 今週は、まあま歩けました。うれしい。
 さて、宇都宮の「宇都宮の軌跡」の看板集めは、旧町名が終わったので、名所、旧跡の看板を集め始めました。こちらは、苦労しそうです・・・。
 「宇都宮の軌跡(文化財および名所・旧跡編 その1)」については、こちらからどうぞ(^^)。
3.自転車
 距離:405.84 km(ローラー:223.97 km)
 TSS:537.2(ローラー:207.0)
 獲得標高:1,263 m
 タイム:13時間55分25秒(ローラー:6時間02分08秒)
 目標をクリアできないと、フラストレーションが溜まりますね。今週は、もうちょっとだっただけに、残念。。
4.ようこちゃん
 テレビのレコーダーが壊れてしまい、膨大なコレクションが無くなる危機となりました。ようこちゃんはテレビっ子なので、元気がありません。確かに、名作空耳とか、ぼくが映ったチャリダーが見れなくなっちゃうのは、ちょっと残念かな(^^;)。
5.体重と体脂肪率
 やばいです。増量するにも程がある。グラフの縦軸が足りなくなってしまった・・・。量は食べないようにしてたんだけど。

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その1)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(文化財および名所・旧跡編 その1)。
 旧町名と同じ色、形で、文化財および名所・旧跡を案内する看板が、市内のあちらこちらに点在しています。いったい何処に何があるかが全く分からないんだけど、ブラブラ歩いていると、そのヒントがあることが分かってきました。
 こんな「まとめ看板」があるんです。これを頼りに探してみたいと思います。
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

1 百間堀跡
 この辺りには、宇都宮城を守る百間堀がありました。幅24間(約43m)、深さ3間2尺(約6m)、北は三の丸の太鼓門から南は宇田門まで、およそ100間(約180m)あったので、この名が付けられました。市指定天然記念物である「大いちょう」は、この堀の内側の土塁上に立っていると考えられます。
 位置情報:36.5566889,139.8821111

2 旭町の大イチョウ
 宇都宮のシンボル、大いちょう。看板は、ありませんでした。
 位置情報:36.5575639,139.88295

3 修道館跡
 この付近には、安政5年(1858)に設けられた修道館がありました。文化年間(1804~1818)に開かれた宇都宮藩の藩校を、幕末の藩政改革によって充実させたものです。藩士の子弟に古典・武芸などを教えるとともに、一部には洋学の教育を取り入れました。明治4年(1871)の廃藩置県により閉校となりました。
 位置情報:36.5590528,139.8821417

4 張番木戸跡
 ここには、江戸時代に張番木戸がありました。奥州街道(現・大通り)から宇都宮城の大手門に向かうには、最初に通らなければならない木戸でした。この木度を南に入ったところに、役人の詰める番所があり、人々の通行を監視していました。
 位置情報:36.5615917,139.8823861

5 鏡ヶ池
 昔、この辺りに池があり、その池から出てきた鏡を二荒山神社に奉納したことから、鏡ヶ池と呼ばれるようになたといわれています。また、池から出た鏡は、静御前が落としたものだという伝説があります。宇都宮の古い名である池辺郷は、この池を含む広い湿地に由来するという説もあります。
 位置情報:36.5606528,139.8828889

6 下の宮
 看板は、ありませんでした。
 位置情報:36.5607222,139.8863056

7 御橋
 ここには、釜川を渡るための橋が架けられ、御橋と呼ばれていました。この橋は、宇都宮城主が大手門から二荒山神社に参拝するときに渡ったといわれ、元和5年(1619)、本多正純が大手門を江野町に移してからは、一般の人も渡れるようになったと伝えられています。
 位置情報:36.5596639,139.8856972

8 三日月堀跡
 元和6年(1620)、宇都宮城主本多正純は城郭の大改修を行いました。この辺りにあった三日月堀は、そのときに掘られたもののひとつで、東西に三日月形に長く湾曲し、堀の幅約22m、東西の長さ約144m、深さ約8mありました。
 三日月堀は、大手門(正面の入口)から太鼓門に入る敵を防ぐ、防衛強化のためのものでした。
 位置情報:36.558575,139.8845361

9 おしどり塚
 看板は、ありませんでした。
 位置情報:36.5596222,139.8897556

10 今小路門跡
 この付近には、宇都宮城の三の丸全体を大きく囲う土塁が築かれ、本多正純が城郭を拡張したとき、「今小路門」が造られました。この門を造るため、釜川に面した所にあった六軒の魚屋は大町の一部に移されました。
 位置情報:36.5579333,139.8879083

11 贈従三位戸田忠恕之碑
 戸田忠恕は、安政3年(1856)10歳で家督を継ぎ、宇都宮藩主となったが、幕末維新にあって勤王の志深く、山稜修復や戊辰戦争に力を尽くし、明治元年(1868)5月、わずか22歳で没した。
 この碑は、明治30年(1897)特旨を以って従三位が贈られた後、翌31年に旧藩士や有志が。忠恕の功績を不朽に伝えるため建てたもので、その波乱に富んだ生涯が、漢文体で碑前面に刻まれている。
 位置情報:36.5542806,139.8858028

12 上蓮池跡
 この辺りには、宇都宮城の東側を守る堀である上蓮池がありました。この池は幅30間(約54m)で、内側には石垣が積まれていました。宇都宮城の堀で石垣があったのは、この付近だけといわれています。
 位置情報:36.5545639,139.8874972

13 下蓮池跡
 この辺りには、宇都宮城の南東を守る堀である下蓮池がありました。この池は、宇都宮城を囲む堀としては最も外側にあり、近くにあった門や石垣、上蓮池とともに城の守りを固めていました。
 位置情報:36.5531389,139.8869028

14 南館堀跡
 この辺りには、宇都宮城の南の守りである南館堀がありました。この堀の幅は10間(約18m)であったと記録されています。堀の内側には武士の屋敷が建ち並んでいました。
 位置情報:36.5516556,139.8846722

15 地蔵堀跡
 この辺りには、宇都宮城の南西の守りである地蔵堀がありました。この堀は地蔵堂門と英巌寺(宇都宮城主戸田氏の墓所)をむすぶ道路の南側に位置し、近くには今でも延命地蔵堂があります。
 位置情報:36.5509278,139.8826444

16 千歳坂
 この辺りは、宇都宮城の南西に位置し、城内で使われる野菜畑(前裁畑)になっていました。伝承によると、前裁(せんざい)の音から、千歳(せんざい)の字をあてて、千歳坂と呼ばれるようになったといわれています。
 坂は、西に高く東へなだらかに傾斜し、坂を東に下ると南北にのびた土塁につきあたり、西に上ると武家屋敷に通じていました。
 位置情報:36.5514694,139.8823083

17-1 英巌寺児童公園/宇都宮城主戸田氏の墓所
 英巌寺は、宝永7年(1710)戸田忠真が宇都宮城主になったときに建てられたが、もともと墓はなく、位牌堂があった。
 戸田氏(江戸時代中ごろから明治維新までの宇都宮城主)の墓は、江戸牛込の松源寺にあったが、明治41年(1908)松源寺の移転のとき、ここ英巌寺に改葬された。
 正面に46第忠恕の墓、左の離れたところに47第忠友(最後の城主)の墓、左奥に忠次から忠明まで11人の名前が刻まれた大きな墓碑がある。
 位置情報:36.5507889,139.8808889

17-2 英巌寺児童公園/英巌寺のイヌツゲ
 英巌寺は、宝永7年(1710)に戸田氏が建てた寺である。広い境内に位牌堂や僧堂があったが、明治初めの戊辰戦争で焼失し、イヌヅゲだけが当時の様子を偲ばせてくれる。
 イヌヅゲは、モチノキ科の木で、日本のほか中国に見られる。雄株と雌株の区別があり、5~6月に白い花が咲く。普通あまり大きくならないので、庭木として利用され、このような大きなイヌヅゲは大変にめずらしい。
 でも、残念ながら、イヌヅゲは、もうありませんでした。
 位置情報:36.5502611,139.8807056


18 西館堀跡
 この辺りには、宇都宮城の西の守りである西館堀がありました。この堀は宇田門から西館門にかけて続き、幅は23間(約41m)であったと記録されています。堀の内側には御普請小舎がありました。
 位置情報:36.5546528,139.8820194


19 松ヶ峰門跡
 この辺りに、宇都宮城の西の出入り口となる松ヶ峰門がありました。門の西側には、城を守るための土塁が南北に続いていました。
 門を入ると、西から東に下る狸坂があり、城に使える最上級の武家屋敷が並んでいました。門の東側は、城内武家屋敷の中では一番の高台になっており、最も早く朝日がさすことから、高屋敷とか朝日台と呼ばれていました。
 位置情報:36.5553889,139.8795167