Sunday, March 26, 2023

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その3)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(文化財および名所・旧跡編 その3)。
 今回は、県庁前にある、この「まとめ看板」に載ってる名所・旧跡です。
 
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

1 二荒山神社
 栃木県民なら知らない人はいないのではないか?それくらい有名な神社ですよね。でも、ご覧の看板に載ってる文化財があることを知っている人は、それほどいないかな?それぞれの説明を書き写したかったけれど、細かすぎて読み取れませんでした(^^;)。ちなみに、「ふたあらやまじんじゃ」です。「ふたあらさんじんじゃ」って呼ぶ人が多いけど。
 位置情報:36.5624611,139.8856667

2-1 慈光寺
 赤門のサクラで有名な慈光寺さん。だから、サクラが咲いたら写真を撮りに行こうと決めていました。が、残念な雨降りでした・・・。
 位置情報:36.5648778,139.8868861

2-2 慈光寺/赤門跡
 宇都宮の旅籠屋(今の旅館)に生まれた枝源五郎は、宇都宮城下の人々から3年がかりで寄付を集め、安永7年(1778)慈光寺に山門(仁王門)を造りました。山門は赤く塗られていたので、通称「赤門」と呼ばれていました。
 この赤門は、昭和20年(1945)7月の宇都宮大空襲によって焼け落ちてしまいましたが、今でも「赤門通り」という愛称が残っています。
 位置情報:36.5641722,139.8869472

3 御蔵山古墳
 この古墳は、6世紀前半ころ造られた全長約62m、高さ約5mの中型の前方後円墳で、前方部を西北西に向けている。周辺からは土器は埴輪の破片が出土している。墳丘は三段になっており、下半分は山をけずって形を整え、上半分は土を盛り上げて築いている。
 古墳のふもとに「古棺記」、頂上に「雷神社」がある。神社を造るとき、前方部と後円部の上面約1mほどけずり取られている。
 こんなところに古墳があるなんて、ビックリしました。
 位置情報:36.5667528,139.8848722

4 八幡山公園のクスノキ
 江戸時代からここに生息していたと思われる、クスノキの巨木である。クスノキは主に関東地方より西の暖かい地域に分布している常緑高木で、これだけ大きいものは、栃木県内では珍しい。
 葉脈の分岐点に小さいいぼ状の点があり、中にダニの一種がいるのがクスノキの特徴である。新芽は赤褐色で美しい。開花は5月ごろで、黄白色の花が咲く。
 近くには、「ポケふた」もありますよ。
 位置情報:36.5696861,139.8858472

5 祥雲寺のシダレザクラ
 このシダレザクラは、江戸初期の明暦年間(1655~1658)、祥雲寺本堂再建の記念として植えられたものという。
 昭和23年(1948)、この一帯が火災にあったとき、枝の北側の一部が焼失した。その後、枯れた部分を切り取ったり、根元に肥料を施したりしたので、近年みごとに花をつけるようになった。開花は3月下旬ごろで、県内では代用的なシダレザクラの巨木である。
 見事に咲いていました。
 位置情報:36.5703139,139.8829028

6-1 延命院
 亀の甲坂の南にある延命院さん。しょっちゅうこの辺は通るのに、文化財がこんなにあるなんて知りませんでした。
 位置情報:36.56435,139.8788306

6-2 延命院/蒲生君平修学の寺
 「寛政の三奇人」の一人といわれた蒲生君平は、明和5年(1768)、新石町(現・小幡1丁目)に生まれました。6歳のとき、自宅から近い、ここ延命院の住職良快から読み・書きの手ほどきを受けたといわれています。近畿地方などの陵墓(天皇・皇族の墓所)の研究書である『山稜志』をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。
 位置情報:36.5637806,139.8782361

7 真福寺/木造四天王像
 この木造四天王像は、真福寺の本堂に安置されている。持国天・多聞天・広目天・増長天の四体がそろっているのは珍しい。
 台座に「嘉永五年(1852)壬子年九月二日、宇陽大仏師高田法橋運刻同豊吉」の銘があり、宇都宮の仏師高田運刻の作品であることがわかる。
 四天王とは、帝釈天(仏教を守護する天上界の王)に仕え、四方を守る神のことである。
 位置情報:36.5635278,139.8795611

8-1 桂林寺/木造聖観世音菩薩立像
 この木造聖観世音菩薩立像は、桂林寺の本堂に安置されている。
 カヤ材の一木造りで、右足に体重をかけ、左足をあそばせている珍しい立ち姿である。顔は面長で、玉眼、目尻には藍色が加えられている。鎌倉時代後期~南北朝期の作と考えられる。秘仏であるが、毎年春彼岸に御開帳している。
 秘仏と知らずにお彼岸にお邪魔して、拝顔することができました。大変美しく、特徴のある仏像です。
 位置情報:36.5657389,139.8776556

8-2 桂林寺/蒲生君平の墓
 ここ桂林寺には、「寛政の三奇人」の一人である蒲生君平の墓があります。蒲生君平は、明和5年(1768)、新石町(現・小幡1丁目)に生まれました。近畿地方などの陵墓(天皇・皇族の墓所)の研究書である『山稜志』をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。文化10年(1813)江戸で死去し、臨江寺に葬られ、後にここに分葬されました。
 位置情報:36.5648806,139.8772889

No comments :

Post a Comment