Sunday, March 19, 2023

だいちゃんとようこちゃん、「宇都宮の軌跡」を巡る。(文化財および名所・旧跡編 その2)

 「宇都宮の軌跡」の看板を探すプロジェクト(文化財および名所・旧跡編 その2)。
 今回は、不動前通りと平成通りの交差点にある、この「まとめ看板」に載ってる名所・旧跡です。が、一部重複しているので、その旨記載しています。
 
 ※このプロジェクト、歩いて探すことをルールとしてます。(^^)。
 ※写真は、ぼくが撮ってます。説明の文章は、看板に書いてあるものを写しています。何か不都合がありましたら、ご連絡ください。

1 新町のケヤキ
 この木は、江戸から宇都宮城下への入り口にあたるところに立っており、多くの旅人の目印となっていたもので、落葉する10月下旬頃の姿が、特に美しい。
 樹齢は、推定800年であるが、樹勢は旺盛であって根回りは20m程もあり、根張りが良く、幹はしっかりとしている。
 なお、戦前までは、このようなケヤキが3本あったが、一番大きなこの木を残し、供木したため、現在はこの木だけが残っている。
 現在は、残念ながら、切り株のみが残っています。看板もありませんでした。
 位置情報:36.5485611,139.8753806

2 蒲生君平勅旌碑
 明治2年12月明治天皇は、蒲生君平の著した書物やおこないが明治維新に大きな功績があったとして「君平の人となりはまことに立派であるからこれを広く天下に表して庶民に知らせるように」との勅命を下しました。そこで、当時の宇都宮藩知事の戸田忠友が奉行となり、宇都宮の入口に「この地が蒲生君平の里である」という碑を建てました。
 位置情報:36.5471889,139.8776694

3 不動堂
 江戸時代の初めころ、宇都宮城主本多正純は、日光街道と奥州街道をつけかえました。そのとき、旧奥州街道と奥州街道の分かれ目にあったのが、不動明王を祀った不動堂です、江戸方面から来る旅人にとっては、宇都宮に入る目印となっていました。
 不動堂は初め、この場所より東方(旭陵通りを少し入った辺り)にありましたが、後にここに移されました。今でも不動前という地名があるのは、この不動堂に由来するものです。
 位置情報:36.5442639,139.8802806

4 御山屋敷跡
 この辺りに、宇都宮藩主戸田氏の別邸があったので、御山屋敷と呼ばれていました。広大な敷地をもつ屋敷で、享保16年(1731)、藩主戸田忠真のとき、さらに追加拡張され9000坪をこえる(約30000㎡)敷地になりました。木々が生い茂り、四季折々に花が咲き、周囲を一望に見渡せる宇都宮第一の景勝地といわれていました。
 普段は庭に入ることができませんでしたが、毎年2月の初午の日に限って一般に開放され、庭園内にあった稲荷、八幡の社に参拝することができました。
 位置情報:36.5450361,139.8833

5 亀井の水
 宇都宮城は、上から見ると亀の形に似ているので、亀ヶ丘城とか亀井城ともいわれていました。この辺りは、亀の尻尾にあたるので、この湧き水は「亀井の水」と名付けられました。
 鎌倉時代、静御前が源義経を慕って奥州へ向かう途中、のどが渇いて困ったとき、家来の亀井六郎が神仏に祈り槍で大地をつくと、ここから清水が湧いたという伝説が残されています。
 位置情報:36.548775,139.8842028

6 英巌寺児童公園/宇都宮城主戸田氏の墓所/英巌寺のイヌツゲ
 その1で書きました。

7 地蔵堀跡
 その1で書きました。

8 千歳坂
 その1で書きました。

9 南館堀跡
 その1で書きました。

10 西館堀跡
 その1で書きました。

11 松ヶ峰門跡
 その1で書きました。

12 歌橋番所跡
 この付近は、宇都宮城の西方に位置していました。江戸時代の初め、宇都宮城主となった蒲生秀行は、城内を修築して強化を図りましたが、その際、城内と街道を板塀で仕切り、木戸口を設けて出入りの人たちを厳しく見張る番所を置きました。この辺りの町名(歌橋町)にちなんで、歌橋番所と呼んでいました。
 位置情報:36.5527806,139.8758389

13 一向寺 
 「銅造阿弥陀如来坐像」、「菊地愛山の墓」があるお寺。境内には、立派な桜の木があったのですが、先日お邪魔した時は、無くなっていました。
 位置情報:36.5545889,139.8750917

14 六道閻魔堂
 この辺りは、江戸時代に壬生や佐野、楡木などから宇都宮の城下へ向かう六本の道が集まっていたので、仏教でいう六道(地獄堂、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道の六世界)になぞらえて、六道と呼ばれていました。
 元禄14年(1701)、光琳寺の専誉上人はお堂を建て、高さ2.4mほどの閻魔大王を祀りましたが、明治初めの戊辰戦争で焼けてしまいました。現在のお堂は、明治39年(1906)に立て直したものです。
 位置情報:36.5552972,139.8714139

15 滝の権現
 ここは滝尾神社ともいわれ、江戸時代終わりころの文政9年(1826)、竹内九衛門が日光の滝尾神社の神を分けて祀ったものといわれています。
 かつて樹齢800年の大きなカエデの木や、江戸時代の宇都宮の名所である「七水」の一つに数えられた湧き水がありましたが、今ではともに見ることが出来なくなってしまいました。
 位置情報:36.5502028,139.8662722

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